タケオという男
発達障害の母
普通ならば家族の間の自慢話は嬉しいものだ
私は誰にも話せない子供の自慢話は夫にするのだが
二人でどこまでも自慢のしあいになってしまう
子供が親に学校でこうだったああだったなんていうのも
親としては嬉しいものだ
うちの子供たちは親にそう言う話はあまりしないタイプで
後でママ友に聞いて喜んだりするのだが
とにかく他人ならむかつくような自慢話でも
本当に家族の中なら大歓迎の楽しい会話なのだ
母の自慢話を私は心から喜ぶべきなのだろう
でも、どうしても受け入れられない
もちろん、発達障害なのだから自慢話が他人に与える不快は
わからなくて当然なのだが
それでもイライラしてくる
朝一番から何時に起きたすごいでしょう!ほら、お味噌汁作った
すごいでしょう!ちょっと、このご飯どう?よく炊けたでしょう?
まぁ、このあたりは小さな子が初めて家事ができたこととして
我慢ができる
それよりも何よりも私が物を投げつけたくなる自慢がある
タケオと言う男
発達障害の母
それでも、母の話はいつもその頃の自慢で始まる
私は洋裁も好きだし、上手だったのよ
一年間、私は母のすべてを受け入れて、全部を飲み込んでしまおう
そう、決心してこの家に数十年ぶりに帰って来て
そこに向けて努力してきたのだが
興味のないことにはどんなに大事なことも
口で返事をするだけで、すぐに忘れてしまう事
歩きすぎて膝に水が溜まって痛い思いをしたのに
どうしても歩かずにはいられないこと
毎日、スーパーのチラシを見て安ければいらないものも
たくさん買ってくること
など困ることはすべて呑み込めたし
家のお金が百万単位で無くなっていることを
すべて私のせいのように弟に話していることも
まぁ、もう、今はどうでもいいと思っているのに
たった一つのことが許せなくて東京に逃げ帰って来た
速水の悩み
発達障害の母
自分で作るようになってわかったのだが
母の洋裁は随分危ういものだった
いつも畳に針が落ちていて、小さな私がいるのに危ない!と
父がよく怒っていたが、普通に服を作っていれば
畳に針が落ちることなどまず、ない
袖をつけ間違うことが多くて、イライラして
よけい間違っていた母の服を作る様子は子供心に
毎回なんであんなに間違うのだろう?
母は15歳から女学校を卒業するまで洋裁をやり
私が覚えている限り、かなりの村の家から洋服作りを
頼まれていた気がするが、本当によく間違えていた
自分で作ってみると、なぜ、あんなに間違えていたのかの
理由はわかったが、一二度間違えば、すぐに間違えなくなるものだ
弟が生まれたころには村の人から頼まれることはなくなっていたので
村の人もあまりに縫い直している服に呆れて
頼まなくなったのかもしれない