発達障害の母

難しいのは笑いのほうだ

わかりやすく、結婚や病気が治ったとか

成功の話には分かりやすく一緒に喜ぶが

冗談とかがわからない、誰もが笑っている時に

キョトンとしていることが子供のころには多々あった

父は落語が好きでよく聞いていたが

母はそれが全くわからない

笑うタイミングとかを逃すことはわかっているから

テレビのお笑い番組や落語なんかは全否定していて

くだらない!と一掃してしまう

私は子供のころは結構落語やなんか好きだったから

そんなに悪い物なんだろうかと傷ついたりしたものだ

単純に善悪がわからないと、それはほとんどくだらない

見る価値のないものとなるのだ

母は歌はものすごく好きだった

速水の毎日

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速水が一週間に一度外泊するようになった
ミキはそれを心から喜んだ
沢村は普通の父親のように娘に四角四面の常識を振りかざしはしない

「彼女ができたら、君と僕のように
幸せな結婚にたどりつくといい
でも、それが人を好きになる本当の幸せの形ではないのは
よくわかってるから
まぁ、いいじゃない
寂しいけれど速水は最近綺麗になったよ」

タケオは一週間に一度
もちろん、他の客の相手もしているのだが
速水と会うのが楽しかったし
それは、あの時コンビニでバイトしていた彼女に会うよりも
心がときめいた
もちろん、仕事とはいえ肌を合わせるのだから
心が通じないと楽しくない
そして、速水からかなりな金額がもらえることも嬉しい

発達障害の母

母はマニュアルとして人間関係のやり方を覚えている

その学習はかなり見事なものだ

人の悲しみ、病気になった、死んだなどは割かし簡単だ

悲しんだふりをすればいい

だから、母はそんなふりはうまいが涙は出せない

しかし普通の人はふりがうまいとは思わない

こんなに他人事なのに悲しんでくれてと喜ぶ

そうして、別れた後にケロッとしている母を

子供のころたくさん見てきた

私が母に対して最初に思ったのは

『嘘つき!』だった気がする

でも、私は父に似て感情は表さないほうが立派だと思っていた

だから、母のことを心の奥でそう思っていても

口にも顔にも出さなかった

速水の毎日

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ミキにとって速水が幸せになることが一番だ
自分としては申し分のない結婚が出来た
もちろん、結婚が幸せの証明にならないことは
ミキが一番よくわかっている
あの母親と父が早く別れていれば
ミキ、康太、そしてみぃの三人はもっと別の道があっただろう

でも、あの風俗にいた日々があったから
今の夫の愛がまぎれもない本物だとわかったのだ
康太だってあの家の子供でなかったら
あんなに必死に勉強はしなかっただろう
そして、みぃ。
今や莫大な富を稼いでいる、あの商才
もしかしたらみぃは父の子供ではないかもしれない
それは不幸なことであるのだろうか?

みぃは自分のやっていることが楽しくて仕方ないだろうし
その成果は莫大な富となる
それは、あの糞みたいな母がみぃを早いうちに
娼婦にしたからかもしれない

発達障害の母

母に対する愚痴はほとんど

 

「かわいいおばあちゃんじゃない

歳いったら、そう言うもんよ

ちょっと、お年寄りに厳しすぎだよ」

 

そう言われると心はざわつくばかりだ

誰もが自分の母親と楽しい思い出があるんだと思う

でも、今、振り返ってみて

そんな物はひとつもない

私の子供のころ母は家族の中心でいなければ我慢できない生活で

 

「今日会ったことを喋るのが大事なんだって

家族は話をするのが一番よ

明るく楽しくね」

 

もちろん間違っていない

間違ってはいないけれど

母の言うとおりにするのはバカバカしいのだ

母の一日あったことはほとんどが近所の人の悪口だ

母の興味の対象は低レベルで

小学生の私ですらうんざりするようなことばかり

政治の話や学問の話をするのがいいとは言わないが

人の悪いうわさ話を家族のそろった中で

明るく話されると子供ながらにうんざりしていたものだった

 

 

 

速水の毎日

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あ、戻った!
速水はタケオが夜の繁華街で暮らしていた
魅力的でそれでいて普通の青年の空気を持った男に戻った
そう思いながら、その手を見ていた
細い白い手、ここ二年くらいその手は鉛筆を握り
そして思っていた通りの理想の自分になった彼
それでは満足できないと気が付いた彼は
速水が好きな彼だと思っていた人間よりも
もっと、魅力を増して帰って来た
その細い手で体を撫でられることを思うと
いくら払ってもいい
久しぶりに速水は男を求める体になっていた

家に帰って来た速水の様子の違いにミキは驚いた
いったい誰に会ったのだろう
前のあの男の子だろうか
それでも、ミキは速水の恋がうまくいってほしいと思う
今のままだと、速水が毎日生活している平穏が
可愛そうだと思っていたのだ

発達障害の母

実際のところはわからないが私は確信した

しかし、こんな話をその友人にすると

 

「そんな母親いるわけないでしょう

何やかやと母親のせいにしすぎだよ

人のせいにする人って

ほら、あの人!」

 

そう言いながら嫌なママ友のことをしゃべり始める

そうだと、私もわかる

人のせいにする人間は下衆だ!

わかっているから今まではそれを口にせずに来たのだが

自分が五十過ぎて、体のあちこちにガタが来ると

もう、立派な人間だなんて思われなくてもいい

友人が去って行ったとしても

母のことは思ったままを口にしたい

今はそう言う衝動に駆られているのだ