速水の悩み
発達障害の母
講義が終わって、急いでバイトに走った
うどん屋の伯父さんは講義が長引いたと言えば
私と恵子ちゃんは特別扱いで
他に何人か使っている人間はいたが
「学生さんは仕方ないよ!」
そう言ってその遅れた時間さえ時給をくれることがあった。
でも、それに甘えてはいけない
今日は恵子ちゃんは母親が緊急入院したからと
朝から静岡に帰っていたから
同じシフトの私は人手が足りないのもわかっていた
走ってうどん屋の裏に入ろうとしたら
誰か大学の門からつけて来ていたような男が手を引っ張った
つけてきている男がいるのは何となくわかっていたが
振り返ることもなかったし、気のせいかとも思っていた
そのうち追い越すかもしれないとも思っていた
速水の悩み
発達障害の母
そんなわけで、どうしようもない感じで修二とは別れた
「また、絶対来てね!」
その言葉の修二の目はまるでもう一度会えなければ
どこかに沈んでいく、カワウソのようなまなざしに思えた
それでも、恵子ちゃんと二人で帰りながら
「『また!はないよね~、来たいのは山々だけどね~
こんなに男にちやほやされるのなんか、人生で初めてだもん
でも、見た!?
あの女の子たち、グッチのバッグとかシャルルジョルダンの靴とか
みんな、お金あるよね~なんで?
それに、勉強しなくても大丈夫なの?
明日の講義の下調べ、帰ってからやらないとだし
寝る暇ないじゃん」
恵子ちゃんのその言葉を聞きながら、
毎日、朝から晩まで、入れられる時間にはすべてバイトを入れ
その合間を縫って勉強して、一日はあっという間に過ぎていく
私たちには確かに別世界だと思った
修二のことは気になったけど
所詮、世界が違うし、接点なんか何にもない
速水の悩み
発達障害の母
それでも、その頃の下宿してる貧乏な学生なんか
電話を部屋にひくこともできず
携帯が普及している時代じゃなかった
それこそ、今時のお笑い芸人が肩に担いでいる
大きな携帯がやっと出てきた時代でもあった
もちろん、修二も電話なんかある生活はしてはいない
だからと言って住所を教えるほど二人とも東京に慣れていなかったし
ディスコって場所すら少し不安に思うような田舎者だったのだ
そう言えば、私が小学校の頃
浅間山事件があって、あれを見た母が
『大学なんてロクな人間が行くところじゃないね』
そう言って、私が東京の大学に行くって話したとき
そのことばかりを心配していた
うちの親戚にはまだ、だれも
大学に行った人間はいなかったから
母がそのことばかりに固執していたのも仕方のないことだったかもしれないが