掟
発達障害の母
人のせいにしてはいけない
子供たちにはそう言いながら育ててきた
私は私が今の私であることを
母のせいにはしたくはないし
母のせいではないといいたい
ただ、ただ、この母親でなかったら
その気持ちはどんなに消そうとしても
心に浮かんでくる
小学校のころ
男好きの母親を持っている友人がいた
だからと言って、その子は不幸ではなかった
そこも男好きで
小学生のくせに、すぐに男子を暗い所に呼び出しては
二人きりになりたがっていた
親はいろいろだ
親と一緒ならば幸せなのかもしれない
教師が個人面談でその母親に子供の男好きを指摘すると
その夕方にはその男の教師と
その母親が村を歩いているのを
誰もが目撃して
ものすごく親密そうだったと
私は小学生の時に母親から聞いた
発達障害の母
子供のころは好き嫌いが多かった
でも、家を出て一人で暮らすようになった途端
別に嫌いな食べ物などないことに気が付いた
それが、母の料理の下手なせいだと気が付いたのは
ついこの間だ
何十年も子供のころは好き嫌いが多くて
大人になって何でも食べられる人間になったと思っていた
そんなことがたくさんある
人の気持ちがわからない人間だと思っていた
母の気持ちは子供の私には到底わからなかったから
でも、学校の友達とはうまくいく自分が
不思議だった
ああ、この子は今、こうしてほしいんだな
じゃ、こうしてあげよう
そう思ってやってあげると、たいがい喜ばれる
母の場合はよくわからない
それは母自体もよくわかってなかったからだろう
話がうまく進まない
「この、お漬物、おいしいよね」
誰かがそういうのを待って
「ああ、同じ同じ母ちゃんもそう思ってた」
誰かが言って、それに追随する
そんな会話しかしない人だった
立派な人の言うことをすぐにまねる
その立派な人の定義が
普通の完成で見れば、目立つ人とか
人の前に立って出しゃばってしゃべる人にしか見えないのに
母の中では立派な人という定義になっている
掟
発達障害の母
たぶん、それは発達障害のせいではないだろう
発達障害であったとしても
素直でいい人ならば、家族三人はもっと、母が好きになっただろう
素直なのは確かだ
史跡巡りよりも買い物が好きで、知的なことには興味がない
それは口に出さなかったがよくわかって、みんなで何となく意をくんだ
でも、それが母のためだとは本人は気が付かない
そして、結局、理想的な家庭は父のパチンコ好きのせいで
とても無理だと考えていたりする
ご飯を作るのは苦手
でも、それだから父が手を出すのには傷つくし
料理が自分は下手だとは気が付かない
父も私も母の傷つくようなことは言いたくなかったし
弟は母に似て味音痴だ
しかし、弟は一番小さくて素直に感想を言うから
弟の「おいしい」を信じて
一生懸命料理を作る
一生懸命なのはいいことだろうが、さすがに毎日まずいのは
うんざりする