発達障害の母

その頃、私は自分の住所を知らせていなかった

亡くなる一年前くらい、父が倒れた時に

息子と二人で二か月くらい実家に帰り

二人で病院通いをしたものだ

父が癌だあったこと、母は全くどうしていいかわからないだろうこと

そして、父が寝込めば母はパニックになるのではないかと

母の本当の姿をまだ知らない私はそう思って

小さな息子と一緒に看病がてら実家に帰ったのだ

その二か月で父は孫とは十分遊べたし

私も父との最後の日々を過ごせたと思う

父が亡くなるまで、その生活を続けていてもよかったのだが

その時も、二人の関係性と母の態度が全く理解できずに

父には

「もういいよね」

そう言っただけで東京に引き上げ、そのあと私は離婚するのだが

その別れた後の住所も消息も教えなかった