発達障害の母
私の今、少しでも人に評価されるようなところも
嫌なところも、すべて母を意識するところから出来上がっている
本当ならば評価されるようなところが
母から来ているのならば、
そこは感謝しなければいけないのかもしれないが
どうしても、そんな風には考えられないし
もしそこが母に似ているところならば
人間として最低な奴になったほうがましだと考えてしまう
私は学生のころから、もちろん家を出てからだが
単調なことを毎日続ける努力が苦ではないのだ
若いころはダイエットすると決めたら
目標を達成するまでやめないとか、勉強のやる気がない時も
惰性で一日数時間は必ずやる
こんなところは若いころは母のようにならないためだと
考えていたが、今思うと全く母と同じだ
この布巾で拭くと決めたら、毎日汚れていようが
同じ布巾で茶碗を拭く
毎日、歩こうと決めたら足が痛かろうが、天気が悪かろうが
絶対に歩くのだ