2017-12-10 発達障害の母 それでも2年も続いたのは修二の純粋さと、私が妊娠しなかったせいだまったく、今考えたら恐ろしい.......無知ゆえに私はひたすら修二だけを見ていたし修二も母親以外の異性でとにかく大事にしたい、守りたい、そばに置きたい、そう思った初めての女だったのだろうあの19から20歳のトキメク日々あんなふうに誰かを想うことは二度とないそんな日々がその1日で消えてしまったその日は私は新大久保の商店街で夕ご飯の買い物をしていた新大久保が今のように韓国一色になるだいぶ前の話だ