発達障害の母
それでも、その頃の下宿してる貧乏な学生なんか
電話を部屋にひくこともできず
携帯が普及している時代じゃなかった
それこそ、今時のお笑い芸人が肩に担いでいる
大きな携帯がやっと出てきた時代でもあった
もちろん、修二も電話なんかある生活はしてはいない
だからと言って住所を教えるほど二人とも東京に慣れていなかったし
ディスコって場所すら少し不安に思うような田舎者だったのだ
そう言えば、私が小学校の頃
浅間山事件があって、あれを見た母が
『大学なんてロクな人間が行くところじゃないね』
そう言って、私が東京の大学に行くって話したとき
そのことばかりを心配していた
うちの親戚にはまだ、だれも
大学に行った人間はいなかったから
母がそのことばかりに固執していたのも仕方のないことだったかもしれないが