逃亡

美佐子さんは、すぐに頷いた

これは不思議なことなのだが

人間てやつは気が合うとか、一瞬にして

ああ、この人ならば・・・

そう思うことがある

私は美佐子さんと会ったときにそう言うことを感じ

それは美佐子さんもそうだったようだ

静かに自分用のコーヒーを淹れ始めた

美味しそうなコーヒーを美佐子さんがいつだって

気に入って使っているマグカップに注いだ

私はコーヒーは好きじゃないのだが

その香は深いことはよくわかった

 

「私の生まれは東京の下町

親は小さな和菓子屋を営んでいました

うちの和菓子は近所のお年寄りに評判だったし

近くのお茶の先生が注文してくれたり

中学になるころまでは、それなりに裕福だったんですが

世の中はイチゴ大福とか

だんだんハイカラな和菓子が流行って来て

うちもそれに押されて、店が立ち行かなくなってきたんです

父は代々和菓子屋のお坊ちゃん気質で

商売を立て直そうなんて考えもしなかったみたいです」

恋をしたとき

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小百合は速水の言葉を待っていたかのように

「そう、そう思ってくれるでしょう?
私と主人が精魂込めて子育てしたのに
いったい、どうして、あんな恋をしてしまうのかしら
生まれた時にはすぐに私がお世話になった先生に連絡して
すぐに1歳半から通えるように幼児教室の予約をして
その紹介料は父に払ってもらい
幼稚園に入るときにも、母の友人が理事をしてることもあって
母に動いてもらって、それなりのお金を用意してもらったのよ」

速水はここで小百合の本性を見た気もした
小百合はいつだって母親と同じブランドの服に
身を包み、母にもらったと言うエルメスを持ち
誰が見たって贅沢している奥様と見えるのだが
本当はお金に対して、ちょっと、煩いのかもしれない

お金持ちの家が実際はケチなのはよく聞く
康太ではその種類のお金の用意は
いくらお金があっても出さないだろうし
実家に出させたことに、少し悔しい想いが入っているような
そんな気がしたのだ

「小学校だって、大学まで上がれるのはわかっていても
進学塾にまで入れて、ピアノを習わせて
何が行けなかったのかしら?」

速水は笑い出した
今、章子が雅紀に恋をしていることと
章子を育てるのにいくらかかったと言うことは
いったい関係があるのだろうか?

恋をしたとき

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高校生になった娘のすべてを知っていることが
母の愛であり、義務であると信じている小百合
速水だってもちろん、そうあれば、自分が楽だと思う
星人のすべてを把握して、星人のすべてに干渉する

もちろん、幼稚園から小学校低学年までは
絶対的にそっちが正しいだろう
でも、高校生になった娘のすべてを知っているのは
悪趣味以外の何物でもない
もちろん、子供のプライバシーに踏み込んで
早め早めに対処することは大事かもしれない
しかし、中学、高校と少しづつ手を放し
どんなに心配でも、歯を食いしばって
全く子供のことなんか興味ない
いや、言い方を変えれば、信じているから!
その気持ちで接していれば、章子だって
彼とホテルに行くまでの反発はしなかっただろう

速水は無鉄砲な恋というよりは
半分は章子のそんな気持ちが招いた事件だった気がする

そして、その結果がこれだ

「わかる気はします!
真っすぐに大事に育った章子ちゃんには
文武両道の有名私立高校の優等生で
実家は医者か何かの仕事の家がぴったりな気がしますものね」

速水は小百合の本音が聞きたくて
少し、揺さぶるようなことを言ってみた


逃亡

村では、だいたい噂話を面白おかしくして

よけいなことを言ってみたりするタイプ

そう言う下世話な人間を下に見ていて

ややこしいその仲間にはかかわらないタイプ

両方いて、一見、かかわらないで我が道を選ぶほうが

立派なように見えるが

それはそれで間違っている

人は人といることで成長できるのだ

それを最初から拒否して生きていたら

人間同士の関係を素晴らしいものにするスキルは育たたない

 

・・・とそんな理由もないではないが

私はすぐに心に入り込むことにしている

純粋に色々、知りたいからだ

 

「どんなことがあったの?」

 

直球で聞いてみる

恋をしたとき

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「あら、良さそうなおうちの方?」

「ええ、普通の奥様で
上の御兄弟の出来が普通より良かったから
雅紀君に対しては
どう対処していいのかわからないっていうか
なんだかマニュアル通りの方って感じ」

「ん?」

「ほら、挨拶とかはきちっとできて
間違いのないことしか言わないし
子育ても決められた通り
しっかり子供のことは思っているんだけど
そこにあるのは愛じゃなくて
責任感っていうか・・・
雅紀君みたいな子供ができるわけがわかるって気がして
あ、悪い意味じゃなくて
一生懸命だけど報われなくて
悔しいけど笑っている・・・みたいな感じ」

速水のほうこそ驚きだ
小百合さんのような人は自分だけが一番大事で
それこそ、暇な時間の多いセレブな母親のやることが
子育てだと思っている
そう思っていたから、小百合さんが
そんなタイプの母親に対して話すのに驚いた

章子と小百合の間には、もしかしたら
愛はないのじゃないかと疑っていた

逃亡

「美佐子さんはあんたが思っているよりも

数倍賢いし、心も綺麗だよ

いいから、あんたはちゃんとシェリーの面倒を見るの」

 

チェリーはその日から、シェリーをおんぶしては

歌を歌って、うろうろするようになった

私にお茶を淹れながら

 

「さすが、お義母様ですね

チェリーちゃん、すっかりいいママになりそうですよ

本当は素直で優しいんですね

ちょっと、軽率なところがあっただけで

シェリーちゃんを産んでから、随分変わってきたし」

 

「美佐子さんの計算通りだよ

それよりも、美佐子さん、息子の嫁のこと

随分前から知っていたんだね」

 

「私、智久君の小学受験の時に

一年間くらい、塾で一緒でしたから」

 

「やっぱり子供がいたんだね」

恋をしたとき

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速水はそれならば、心配していることは
遠慮なく言わせてもらうことにした

「心配なのは章子ちゃんの恋心が無くなったときよね
普通ならば、別れましょう!で済むことも
彼のこれからのことに同情して別れられないとか
そのまま付き合ったとして
雅紀君はちゃんと就職できるのかしらね?
もちろん、章子ちゃんがバリバリ働いて
雅紀君を養うなんてことも良いとは思うけれどね」

小百合はため息をつきながら

「昨日ね雅紀君のお母さんが訪ねてきたの・・・」

それは章子にとっては大喜びなことだったけれど・・・
小百合は、さて、いったいどうしたらいいものか迷った

「章子さんと仲良くしてもらっているようで
本当にありがとうございます
あんな事件を起こして、被害者でもある章子さんが
許してくれるなんて、夢にも思っていなかったです

章子さんから雅紀とお付き合いさせてほしいと聞いたときは
何かの間違いかと思いました
でも、章子さんは雅紀の発達障害のことも
しっかりわかっていてくれるようで
本当にありがたいことなんですけれど
章子さんの親御さんのほうは納得してくださっているのでしょうか?
聞けば、お父様は弁護士さんでいらっしゃって
あの事件の時にも、お父様がいらっしゃらなかったら
章子さんはどうなったことか・・・」