街の灯り

「え~っと、なんて言ったっけなぁ
湯島聖堂の近くの何とか坂病院
いや、今もあるのかわかんないけどな」

具体的な名前が出てきても、まったく信じられなかった
数日後、ショウと二人で河野坂病院を尋ねた
家に帰って、沢村にその話をすると

「ああ、もしかして河野坂病院じゃないかな
湯島聖堂の近くにあるよ
その病院がお爺さんの実家なの?
すごいなぁ、あそこは江戸時代から由緒ある病院だよ」

そんな立派な病院だと、病院のオーナーなんかに会って話は
聞けるのだろうかと不安になる
すると、沢村が知り合いに電話して
その病院の院長先生と会えるように手配してくれた
そこの院長は東大医学部の出身らしい

深い飴色の机に、濃い緑の古い椅子
院長室はまるで大正時代だ
しかし、院長はミキと同じくらいだ

発達障害の母

雅ちゃんの妹の立派さや

夫が外で作った子供を文句も言わずに引き取った

母親の心の広さもすごいが

その妹より嫌われていた雅ちゃんもかわいそうな人だ

最後は神社で首をくくったというのも

わかる気がした

皆、雅ちゃんの旦那とみっちゃんの後家さんの赤ちゃん

雅ちゃんの妹の出奔なんかに夢中で

彼女のことはすっかり忘れている

 

「そうだったんだ、それで、ネコは見つけられたの?」

 

「いや、ネコもかなり時間を割いて探しているらしいけど

ぜんぜん、わかんないって」

 

「でも、見つけないほうがその妹にとってはいいんじゃない?

その妹がいなくっても、雅ちゃんちはやっていけるんでしょう?」

 

友くんはちょっと、困ったように

 

「そりゃぁ、今はね

でも、あそこの親も90近くになってくるから

だれか一緒にいないと、きついんじゃないかな」

 

口調がいつもの友くんではない

その歯切れの悪い感じ、ちょっと、気になった

街の灯り

そのお爺さんのところに行くと
話がしたくて仕方なかったのだろう
嬉しそうに、二人を見て
人懐っこく笑う

「ん~?何か聞きたいんだって?
この店の4,50年前の話?
たかちゃんって男がいた頃?」

そう言ってしばらく考えていた

「ああ、色男でお客が飲んで帰れなくなったのを
送って行って、そこの娘と結婚したやつか
あいつも人生ものすごく間違えたもんだな
あんた、あの男の子供?
いや、孫かぁ?」

「はい、孫ですけど
お爺さんがどうして、ここで仕事をすることになったのか
知りたくて、調べているんですけど」

「ああ、あれの実家は文京区のほうだよ
家は何でも立派な家系だって聞いたよ
江戸時代から医者の家だって」

ミキはこのおじいさんの記憶違いだと思った
あの爺さんの生まれがそんなに立派なところだなんて
絶対に考えられない

発達障害の母

「俺たちもびっくりしたさ

あそこの父親がよそで作った子供だって

突然連れてきたんだよ

ほら、あそこの父親ってよく、県庁のある街に

遊びにいってただろ

あのあたりの飲み屋の女に

生ませたらしい

あの妹が中学生の時に、その母親ががんで死んだって」

 

この村にはまともな普通の家庭なんて一軒もないのだ

皆、何かを抱えている

そして、案外、そういうことを受け入れているのだ

 

雅ちゃんのお母さん、偉かったんだね

雅ちゃんと妹が差別されているなんて

聞いたこともなかったから」

 

「そりゃあ、俺らみんな、うんざりするほど

雅ちゃんには悩まされていただろう

あんなに性格の悪いわが子よりかわいかったんじゃない

結局、結婚もせずに雅ちゃんが出て行ったあと

家で、何かと親の面倒を見たのは妹のほうだったしな」

街の灯り

驚いたことに『やまびこ』はまだあった
そこの年取ったマスターにミキは見覚えがあった

「あ、翔子ちゃん、年取ったなぁ!」

いきなりそう言われてミキは真っ赤になった
ミキが風俗で働いていたころのお客だととっさに思い出す
翔子という名前は今では一番思い出したくない名前だ
何事もなかったかのように

「うちのおじいちゃんが若いころ
ここで働いていたらしいんだけど知らないよね」

歳をとって普通の奥さんになったミキには興味なさそうに

「ああ、その頃とオーナーが変わってるから
店の名前は変わってないけどね
でも、あそこに座ってるじいちゃんが長いこと
ここの常連だから、何か知ってるんじゃない?」

そう、言ってお客に頼まれたハイボールを作る
昔、風俗にいたってことは
こういった水商売の業種の間では
何のこともないことなのだ



発達障害の母

「みんな心配してるんだよ

出稼ぎって言ってもお金も送ってこないらしいから

ネコはあそこの親に探してくれって頼まれているのさ

連絡もしてこないらしいし」

 

雅ちゃんの妹はここで何度か見かけたことがある

雅ちゃんに似ていたが、もうちょっと、常識もあるように見えた

中学までの間に会った記憶が一つもない

ネコの奥さんの恵子ちゃんみたいに美人じゃなくても

五つくらい下まで、狭い村だからよく知ってるはずだ

 

「ねぇ、私、雅ちゃんの妹の記憶が全くないんだけど

なんでだろう?そんな離れてないよね?」

 

「ああ、あ~ちゃんは知らないはずだよ

雅ちゃんの妹は中学の時に突然現れたんだよ」

 

「え?どういうこと?」

街の灯り

「あんたのお母さんはたかちゃんに似たとこなんか
一つもなかっただろう
たかちゃん、駅前の『やまびこ』って飲み屋で働いてたんだけど
それじゃぁ、やってけなくって
いやらしい店に努めるようになったんだよ
肉体労働は無理なほどの優男だったからね

それから、ふみえちゃんの親二人とも看取って
子供も、立派に育てたんだよ
ああ、立派ってわけにはいかなかったけどさ
でも、もう、あれはふみえちゃんの遺伝だから仕方がなかったんだよ」

ショウと二人で帰り道、ミキは言葉も出ない
爺さんなんか大っ嫌いだった
でも、ミキが思ってた爺さんとは全然違っていた

「おじいさん、いい人だったんですね
だいたい、その、駅に近い飲み屋さんに来るまでは
どこの人だったんでしょうね」

ミキはその前の爺さんのことは全く知らない
聞いたこともなかったけれど
今は知りたい

「さぁ、聞いたこともなかったけど
駅の近くでちょっと、聞いてみる?
まぁ、今は知ってる人もいないとは思うけれど」